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ストリップ歴史年表

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ストリップ歴史年表

~1960 1961~1980 1981~2000 2001~2020 2021~

ストリップショーの起源についてははっきりとしたことはわかっていない。

古代シュメールの神話の中に、女神イナンナが地獄に向かうシーンがあり、7つの門のそれぞれで彼女は衣服を脱ぎ、装身具をはずしていったという。

新約聖書マタイによる福音書14章6節やマルコによる福音書6章21~22節にはヘロデヤの娘サロメがヘロデ王の前で舞を舞う記述がある。この記述が後にオスカー・ワイルドの詩劇「サロメ」によって「7つのベールの踊り」として有名になり、以後、現代におけるストリップティーズの源流の一つとみなされるようになった。

日本においては「古事記」に記された「天岩戸(あまのいわと)神話」において、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が籠った天岩戸の前で天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が踊った踊りが起源ともされている。

現代においては、1947(昭和22)年 東京・新宿の「帝都座五階劇場」にて、「ヴィーナスの誕生」と題し、上半身裸のモデルが額縁の中でポーズをとる「額縁ショー」が実演された。これが日本におけるストリップショーの原点といわれている。
ショーを企画したのは秦豊吉で、この時のモデルは中村笑子。当時はモデルが動けば猥褻として取り締まられたため、モデルは動かず、西洋の裸体画に扮していたため「額縁ショー」といわれた。
この第1回公演では企画の秦の説得にもかかわらず、モデルの中村は胸は手で隠していたという。翌月の第2回公演「ル・パンテオン」でモデルを務めた甲斐春美が初めて乳房を露出した。
その後、規制は緩和され、変化をつけるため様々な工夫がされ、翌年3月、浅草の常盤座で初めて踊りを取り入れたショーが開催され、「ストリップショー」と言われるようになった。


戦前から1960(昭和35)年まで

1961(昭和36)年から1980(昭和55)年まで

1981(昭和56)年から2000(平成12)年まで

2001(平成13)年から2020(令和2)年まで

2021(令和3)年以降



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